第6章 平和と復興を願って

 畳二畳の如己堂から発表される作品や言葉は、世界中の人々の胸を打ち、国内外に広く知られるようになり、昭和天皇陛下、ヘレン・ケラー女史やローマ法王特使などのお見舞いをはじめ、たくさんの友人・知人・遠方からの訪問者や報道記者などが隆のもとを訪れた。

昭和天皇陛下に拝謁
昭和天皇陛下に拝謁


ヘレン・ケラー女史

自らの生活のために始めた著作活動は、想像を超える成功と収入を隆にもたらした。
復興と平和を願いながら、隆は印税の大半を使って、多くの人たちの協力のもと、次のようなことを行った。

1,「あの子らの碑」の建立(昭和24(1949)年11月3日)

自宅にほど近い場所にある山里国民学校(現 山里小学校)では、1,300人におよぶ児童や職員が原爆の犠牲となった。隆は、原爆を生き延びた子供たちに、自らの原爆体験を書かせ、それらをまとめた書「原子雲の下に生きて」を刊行。この本の売り上げをもとに、亡くなった子供たちの冥福を祈り、魂を慰めるとともに、戦争の恐ろしさ、命と平和の大切さを後世に伝えるために、同校の一角に「あの子らの碑」と題した碑を建立した。
現在も、山里小学校では、毎年11月初旬にこの碑の前で平和祈念式を行い、平和の願いを受け継いでいる。
あの子らの碑(山里小学校)
あの子らの碑

2,永井千本桜(昭和23(1948)年12月頃)

原爆によって荒れ野と化した浦上の地を、再び花咲く丘にしたいとの思いから、桜の苗木1,200本ほどを購入、学校や教会、道路など市内の各所に植えてもらった。
いまでも浦上教会や山里小学校、純心女子中学・高等学校などに10数本程度が現存し、春にはきれいな花を咲かせている。
永井千本桜
この桜苗は永井博士の心からのおくりものです
浦上教会の永井桜と誠一、茅乃
浦上教会に植えられた桜苗と、誠一、茅乃

3,うちらの本箱

戦後の混乱と貧困の中、浦上には原爆で孤児になった子や、家がまずしくて学校に行くことができず、教育が遅れた子が多かった。『うちらの本箱』は、そのような子供たちのために隆が設けた私設図書室である。子供たちはここで自由に読書をしたり、学ぶことができた。
隆の思いは遠く海外へも伝わり、アメリカからの寄贈図書や、ブラジルの日系人からの寄付も寄せられた。

うちらの本箱は多くの人達の善意でつくられた。
うちらの本箱